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	<title>PingMag - 東京発 「デザイン＆ものづくり」 マガジン</title>
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	<pubDate>Fri, 20 Nov 2009 05:48:53 +0000</pubDate>
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		<title>PingMagから大切なお知らせ</title>
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		<pubDate>Wed, 31 Dec 2008 10:00:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[国内]]></category>

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		<description><![CDATA[親愛なるPingMag読者の皆様

2008年最後の日となる本日、皆様に大変残念なお知らせがあります。

PingMagは本日をもって、休刊することとなりました。

PingMagは3年半にわたって活動してまいりましたが、その間におよそ世界200ヵ国にも及ぶ様々な国々から何百万人もの方々がこのサイトを訪問し、私たちの記事を読み、コメントを残し、ブログにリンクを張り、ご支持の手紙を送ってくださいました。中には私たちと志を分かち合うべく、はるばる海外から東京までやって来てくださった方までいらっしゃいました。

皆様の長年のご愛顧に、PingMagチーム一同、感謝の気持でいっぱいです。

読者の皆様のお力があったからこそ、私たちはPingMagを今日まで続けてくることができました。そしてなんと1000本近く（！）にもなった記事を更新するたびに、新しい友を得て、日本のみならず世界中の刺激的な方々と知り合う機会に恵まれました。

皆様のお気持ちとお心遣いに深く感謝いたします。本当にありがとうございました！皆様のご厚意に継続という形でお応えできないことに、心からお詫びを申し上げることしかできません。

読者の皆様の他にも、PingMagは様々な形で貢献してくださった無数の寄稿者に恵まれました。この場でその一人一人に感謝を表すことはできませんが、多くの方々は「PingMagについて」のページでご紹介させていただいています。もしお名前が漏れている方がいらっしゃったら申し訳ありません！その貢献の大小に関わらず、今あるPingMagは皆様のお力の賜物であり、協力してくださった方々は今後も変わらず私たちの大切な仲間であり続けることでしょう。

現在、世界中が非常に厳しい状況に直面しています。ここをご覧になっている方々の中にも、不安な日々を過ごしている方がいらっしゃるかもしれません。どこにいても、どんな状況にあっても、私達は皆様のご健康とご活躍、そしていずれここでまた再会できる日が来ることを切にお祈りしております。

東京より、愛を込めて。

トム・ヴィンセント、および、PingMagチーム一同。

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		<title>板谷龍一郎：色鮮やかでユーモア溢れる世界</title>
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		<pubDate>Mon, 29 Dec 2008 10:00:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イラストレーション]]></category>

		<category><![CDATA[国内]]></category>

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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/ryu-itadani.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />年内の仕事やほとんどの忘年会も終わり、皆さんも残るはおうちの大掃除とお正月の準備といったところ？今年もいよいよ、これが最後のPingMagの記事となりました！本日のゲストは、アーティストの板谷龍一郎さん。表参道ヒルズのアートワークなどで、細かに描かれたそのカラフルな作品に見覚えのある方も多いことでしょう。今日は、そんな板谷さんの素晴らしい作品をご紹介しながら、2008年を明るく、元気に締めくくりたいと思います！

作：チエミ

自己紹介をお願いします。

1974年大阪生まれ、板谷龍一郎です。現在は東京を拠点に活動しています。見たモノを独自の視点で描くフリーハンドのラインと、鮮やかな色彩感覚による作品が特徴です。CITYシリーズやTHINGSシリーズなどを個展で発表しながら、最近では表参道ヒルズの1周期年アートワークや朝日新聞の挿絵を手掛けています。



J-WAVEのためのアートワーク、その名も「J-WAVE」。

2008年は板谷さんにとってどのような年でしたか？

2008年はアクリル・ペインティングに挑戦しました。新しいミディアムを使って描くことは、とてもやりがいがあり、楽しいことです。



いつもと違う色で描かれることで、こんなにも違う景色になった「Ginza」。



動き始めたLEGOの街！作品名は「Lego_City」。

2009年の抱負と予定は？

2009年はもっと大型の作品を描いていこうと思います。また、東京の丸の内ギャラリーにて個展を予定しています。



アメリカの雑誌「dwell」の為に描かれた「Red_Flowers」。

世界中のPingMag読者に何かメッセージがあればどうぞ。

よろしければ、ウェブサイトに遊びに来て下さい。

…板谷さん、素晴らしい作品の数々をありがとうございました！今年も急な取材に答えてくれた皆さん、励ましのメッセージをくれた皆さん、リクエストをくれた皆さん、本当にありがとうございました！明後日、12月31日は、PingMagから読者の皆さんに、とても大切なお知らせがあります。31日にまたお会いしましょう！
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		<title>マギボン：YouTube発のネットアイドル</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Dec 2008 10:00:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[インターネット]]></category>

		<category><![CDATA[国内]]></category>

		<category><![CDATA[特集]]></category>

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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/magibon.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />今日はYouTubeでお馴染みの、あるネットアイドルをご紹介したい。あの人気動画共有サイトの常連であれば、一度はカメラに向けられたつぶらな瞳と小顔が印象的なマギボンの動画を見たことがあるのではないだろうか。アメリカ・ペンシルバニア州の片田舎に住む彼女が流暢な日本語を喋るプライベートビデオの大半は、日本からの数百万アクセスを誇る。本日のPingMagでは、折しも日本に滞在していたマギボンにYouTubeで人気を得るための秘訣を教えてもらった。

作：ジャン・スノー
訳：山根夏実

いつから動画を作ってYouTubeに投稿し始めたのでしょうか？

たぶん1年半か2年ほど前だと思います。



ウェブカメラに向かって様々な顔や表情を見せるマギボンさん。

始められたきっかけは？

当時はまだYouTubeが新鮮だったので色々と遊んでいて、日本のPVをたくさん見ていました。それで自分も何かを投稿できるんだということに気がついて、ウェブカメラをつないでちょっと手を振ってみて、それをただ自分で見るためだけにYouTubeに投稿したんです。その時は、自分や友人以外の人間が見ることはないだろうと思っていました。

では予想とは正反対のことが起こってしまったんですね！色々な人がその動画をチェックしていることに気づいたのはいつ頃だったのでしょうか？

1週間かそこらで視聴回数が数千回になっていて、どうやら2ちゃんねるにリンクが貼られたらしいことに気づきました。私は日本のことが大好きだったので、本当に舞い上がってしまって！これまでずっと日本人の文通相手を探していたのに、突然何千人もの日本人が私の顔を見に来てくれたんですから！



このマギボンの動画は、YouTubeで400万回以上再生された。

マギボンさんは動画の中で日本語を話されますが、いつから日本語を使い始めたのですか？

動画をいくつか作ったあとに、2ちゃんねるの人々にお礼を言いたいと思った時からです。その時は本当に片言の、自動翻訳の日本語を使って、「あれは私です」と「ありがとう」と入れようとしたと思います。その時から動画の情報やコメントをできるだけ日本語で書きこむようになりました。

では動画の最後に「ありがとう」のグラフィックを入れるようになったのはいつからだったのでしょうか？あと、そのアニメーションはどうやって作ったのですか？

いつ頃始めたのかは、はっきりとは覚えていません。昔はその動画を作っている時の気分に合わせて、毎回ちょっとずつ違うものを使っていたと思います。今ではいつも「ありがとう」にしていますが、前のウィンドウズのコンピュータを使っていた時は、ムービーメーカーを使って作っていました。今は新しいMacのノートパソコンでiMovieを使って作っています。



マギボンの動画の締めくくりには、常にみんなへのお礼の言葉が入っている。

マギボンさんは日本語のブログもやっていらっしゃいますが、日本語で書くのは結構難しいのでは？まず英語で書いて、それを日本語に訳しているのですか？それともいきなり日本語で書かれているとか？

どちらもあります。ブログに書き込む時は、私の日本語でも十分にわかるように、本当に簡単な内容に留めないといけないのが難しいです。ですから日本語の文章でどう書けばいいのかを考えるか、もしくは時間がない時は本当に簡単な英語を自動翻訳にかけて、それを改めて手直ししたりもします。

英語のブログを持とうとは思わないのですか？

別に英語のブログが嫌だとか、そういうわけではないのですが、それでも今私がやっていることにはそぐわないと思うんです。私の目標は日本に住んで、日本で働くことなので。



マギボンの日本語のブログに掲載されている写真の数々。

では今は日本でどんなことをされたい思っていますか？

歌手になりたいと思っています。

その夢を叶えるのに、投稿動画を活用されないのですか？ほとんどのマギボンさんの動画には音声がないようですが…。

自分の進みたい方向性を決めたのはつい最近なんです。これまでずっと自分に何かの才能があるのか、自分に一体何ができるのかを考え続けてきたので、何をしたらいいのか、何をすべきなのかがわかりませんでした。でも最近になって、歌の道がいいのではないかと決意しました。

現在はYouTubeでの活動で生活されていらっしゃるのでしょうか？

私はYouTubeのパートナープログラムに参加しているので、運営側が私の動画の隣に自分で好きに選んだ広告を掲載してくれて、あちらとその収益を分かち合っているんです。大した金額ではありませんが、私はまだ実家で生活しているので、今はこの活動に専念することができます。



マギボンの初めての動画。

新しい動画はどれくらいの頻度で作っていらっしゃるのですか？

それはその時々です。1週間に2、3本も作るほどのめりこんでいる時もあれば、インスピレーションやアイディアがわかなくて、1カ月に2、3本しか作らない時期もあります。つい最近は、まる1カ月、1本も動画を作らなかったこともありました。そこらは昔から気分が乗るかどうかに任せています。

記録する内容は、熟考を重ねて決めていらっしゃるのでしょうか？それとも毎回が試行錯誤の結果とか？

ウェブカメラを設置して電源を入れて、その時に何かを話したい気分であればそうしますし、そうでなければ言葉のない動画を作ります。

動画はあらかじめかなりの量を記録して、そこから面白いと思ったものだけを保存しているのですか？

そういう時もあります。私の動画の中には、カットして一つのクリップから別のクリップへとカットでつながっているものもあるのですが、そういう動画は1時間以上カメラの前に座っていたのに、最終的には1分の動画になってしまったような時だと思います。

1時間以上もカメラの前に座っていることがあるのですか？

ええ、例えば何か食べるものを調達して、それを持ってコンピュータの前に行ってウェブカメラの電源を入れるでしょう。そこに座って食べながら、何をしようか考えて、何か言いたいことがあればそれを言って、飽きればいろいろな顔を作ったり、一口かじってみせたり、単に食事中だということを見せたりします。



ピザ・トーストを食べるマギボン。

動画を編集してYouTube用にまとめるには、どれくらいの時間がかかるのでしょうか？

それはそのクリップによりますね。相当長くかかることもあれば、本当に簡単な時もあります。以前は動画に音楽も付けていて、そういう場合は画像と音楽を合わせて、再生時間やら何やらを曲に合わせないといけなかったので、本当に手間がかかっていました。でもそれももうだいぶ前の話で、運営側が著作権を有する素材に関して厳重に取り締まるようになったので、私も自分の動画に音楽を入れるのをやめるべきではないかと考えるようになりました。

ところで、先程、目標は日本に住んで、日本で働くことだとおっしゃっていましたが、マギボンさんは日本のどんなところがお好きなのですか？

どうでしょう、ただ何かがピンときたというか。自分の文化よりもよその文化に親近感を抱く人は少なくないと思います。私が日本に感じたのも正しくそれでした。ドラマやJポップも好きですし、日本の言葉も大好きです…。

アニメや漫画はどうです？

そういうものも好きですが、あまり手を出さないようにしています。というのも、私はかなりのめりこむタイプなので、そういうものにはまってしまうと生活がそれ一色になってしまいそうで。私の動画を見ている人で、私がアニメオタクか何かで、「日本について何も知らないのにアニメの国だから行きたがっているんだろう」なんて言う人も結構いるみたいですが。

でも、少なくとも何度か来日できたので良かったですね！マギボンさんが今回来日されたのはYouTubeのイベントに出演するためだったそうですが、そこではどんなことをされたのでしょう？

イベントで何をするかについては、数日前になっても全然知らされていなかったのですが、現地に着いてから、私にいくつか日本語で質問をして、私もそれに日本語で答えるという内容に決まりました。あと「マギボンソング」を作ってくれた ファットブルーマンというバンドも参加していたので、彼らのパフォーマンス中にももう一度ステージに上がりました。



東京で行われたYouTubeのライブイベントで「マギボンソング」を披露するバンド、ファットブルーマン。

マギボンさんに捧げられた歌や動画のオマージュについてはどう思われますか？

良いものは本当に感動的で、それなしでは日本に行って、自分の夢を追う強さがあったかどうかわかりません。それについては本当に感謝しています。あと、私の母もそういう動画を見るのが好きで、よく見ています。

Youtubeで有名になったことで、マギボンさんをからかうような、否定的な動画も少なからずアップされるようになったことについてはどう思われますか？

そういうものは無視しています。ネガティブっぽいと思ったら無視しているので、ほとんど見ていないのですが、そういう動画は私がこの活動を始めた時からありました。最初は本当にしんどかったです。誰かに自分を侮辱することを言われると、自分の言い分を言い返したいというのが自然な反応ですから、私もそうしたかったのですが、心のどこかでそれをしてはいけないと、そういうものを認めてはいけないという声があったので思いとどまりました。多くの人々が私の動画を見ていて、その中には私のすることからインスピレーションを得ている人もたくさんいるので、私は彼らの考え方や気持ちに影響を与えないように、自分のどんな面を見せるのかに気をつけなければなりません。私は動画を見てくれる人々には、忍耐と楽しさだけを見せたいんです。

より多くの人に見られるようになってから、動画の傾向や作り方を変えたりすることはありましたか？

変わったとも言えるし、ある意味変わっていないとも言えます。というのも、言葉を入れない動画は今でも本当に人気が高いので、それは変わらず作り続けています。そういう動画に心底感動してくれる方もたくさんいるので。



マギボンの無声動画の一つ。

感動される方というのは、どういった部分に感動しているのでしょうか？

それは私の動画が白紙の状態で、見る人の望んだものになれるからではないでしょうか。YouTubeには口論や後ろ向きな内容を捉えた動画が無数にあって、その中にはもっとも閲覧回数の多いクリップもあります。その一方で、私の動画にはただの沈黙と、さりげない笑顔か、時には手の一振りがあるだけです。一部の人々にとっては、ほんの1分間、誰かが手を止めて笑いかけてくれるだけでも、本当に意味のあることなんです。

ですが、それだけでは誰も彼もを満足させるのは難しいでしょう。私の動画が人気になり始めたころ、人々の提案を聞いて、彼らの望むことをしようとしていた時期があります。動画をもっと長くすべきだという人もいれば、その直後に長すぎだからもっと短くするべきだというメッセージをもらうこともありました。英語を使うか日本語を使うかについても同じです。ですから、要はそういった努力はまったくの無駄で、私が感じるがままのことをすれば、結局はそれが一番しっくりくるのだろうと思います。

では、日本に来てみていかがでしたか？

1回目は、週刊プレイボーイとGyaoが合同で招待してくれたもので、この旅は楽しくて素晴らしかったものの、一気にテレビカメラやラジオの前にさらされたことで、精神的にとても疲れました。私はそれまでこういったことを一切やったことがなかったので、そういうものの中にいきなり放り込まれたような気がしたんです。おそらく人気も知名度もあるから、誰もが私をプロかエンタテイナーだと思っていたのかもしれませんが、実際のペンシルバニアでの私の生活は実にのんびりとしたものなんです。インターネットやYouTube以外は一切していませんし。2度目の来日では、もう少し時間にゆとりを持つことができました。



インターネットテレビ、Gyaoの訪問を受けて、それをYouTubeに投稿するマギボン。

2度目の来日は何のためだったのでしょうか？

東京国際映画祭です。ブルーシンフォニーという映画で、フランス人の少年の声を一行だけ担当させてもらったのですが、それが映画祭に出品されたんです。

その映画にはどういう経緯で出演されたのですか？

映画を制作していた人の一人が私のYouTubeの動画を知っていたようで、私の声がその役に合うのではないかと考えてくださったようです。それで以前から私と仕事をしていた週刊プレイボーイの編集者に手紙を書いたことで、私も本物のオファーだと知ることができました。声は自宅の台所で、自分のノートパソコンに内蔵されているマイクを使って録音しました。家族が寝静まるのを待って、台所の時計も秒針の音が入らないように移動させておきました。それから台詞を録音して、制作者にメールで送りました。

その制作者は、なぜマギボンさんがフランス人の少年の声にぴったりだと思われたのですか？動画でフランス語を使ったことでもあったのですか？

以前に一度だけ、フランス語の詩を朗読する動画を作ったことがあるんです。それは即座に消去したか非公開にしたと思うのですが、私が動画をアップすると、どうやってか自分のコンピュータに保存する人がいて、それがどこからかまた出回ってしまうんです。コンピュータを立ち上げていた時に、気まぐれに何かをしたくなって作ったものだったので、あまり良い出来ではないんですが、たぶん今もどこかにあるんじゃないでしょうか…。



最近の来日中に制作した動画の中のマギボン。

ウェブから完璧に動画や写真を消すことは、殆ど不可能ですからね！では今後のご予定は？

最近歌の道に進もうと決意したので、それが今後の目標です。ですが、私が心底愛しているのはテレビで、日本のテレビは大好きです。

日本の芸能人は、歌ったりドラマに出演したり、いろいろと幅広い活動をしているので、マギボンさんもそういった方向でやっていけるのでは？

私も同じことを考えました。現時点では、私にこれから伸ばせる音楽の才能があるとしたら、それが私をエンターテインメントの世界に導いてくれる方法だと思っています。それで歌で何らかの成功を納められたら、いつか日本語がもう少し上手になった時に、演技にも挑戦してみたいと思っています。



マギボン。インタビューが行われた渋谷の某事務所で。

YouTubeの動画制作は今後も続けていかれるのでしょうか？

YouTubeのほうも本当に続けていきたいと思っていますが、先ほどもお話ししたように、私はいつも自分のフィーリングに従って作っているので、将来的なことは全くわかりません。ですが現時点ではYouTubeの活動をやめる予定はありませんし、今後も続けていきたいと思っています。

次の来日予定はもう決まっているのですか？

今はできるだけ長く日本にいられるように、一生懸命頑張っているところです！（笑）

マギボンさん、今日はありがとうございました！日本への進出が成功することをお祈りしています！]]></description>
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		<title>ベネデッタ・ボッロメティ：たくさんの元気をくれる不思議な絵</title>
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		<pubDate>Wed, 24 Dec 2008 10:00:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[イラストレーション]]></category>

		<category><![CDATA[インターナショナル]]></category>

		<category><![CDATA[民芸・工芸]]></category>

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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/benedetta-borrometi.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />親愛なるPingMag読者の皆様、メリー・クリスマス！今年もクリスマスがやって来ました！大切なあの人へのプレゼントの準備はお済みですか？東京のPingMagオフィスからは、クリスマス・プレゼントの代わりに、イタリアはローマ出身、現在は東京在住のアーティスト、ベネデッタ・ボッロメティさんのフェルトやグリッターを使ったキュートな作品をご紹介しながら、世界中の皆さんと一緒にクリスマスをお祝いしたいと思います！

作：チエミ

ベネデッタさんは、学生時代はアーティストになると思っていなかったそうですね。

昔から絵を描いていて、画家になりたいとは思っていましたが、元々は弁護士になる勉強をしていたんです。ところが、ある時、母が経営するインテリア・ショップの殺風景な壁に私の絵を1枚飾ったところ、その絵を欲しがる人達が次々と現れて、夢が叶うんじゃないかと思うようになりました。それから、大学を卒業した後に、ロンドンのセントラル・セント・マーティンでファイン・アートを学びました。



グリッターや小さな装飾品が沢山付いたベネデッタさんの作品。



可愛くてちょっとエッチな自画像。

3年程前に東京に引っ越してきたそうですが、東京の生活は作品に良い影響を与えますか？

これまで世界中を旅してきましたが、日本は作品作りにおいて私に沢山のインスピレーションを与えてくれる最高の場所です。とは言え、日本文化を作品に反映させている訳ではないんですよ。私の作品は、全て私自身についてなんです。ここに出て来る女の子も全て私です。自分の作品だから実物の私よりスリムにしていますけど（笑）。作品は、過去に私の人生で起こった出来事やその時の感情を表現しています。

ベネデッタさんの作品は、よく見ると立体になっているんですよね。

色々な手法を試すことや、様々な素材で遊ぶのが好きなんです。そうすることで、作品が生きてきますから。私の作品はキャンバスという平面を飛び出すことで魅力的になりますし、立体の方が私の想像力を優れた形で表現できるんです。



マリリン・モンローが象に乗っている写真からインスピレーションを受けた作品。「手っ取り早く象に乗るには、絵を描くのが一番！」とベネデッタさんは言う。左は最初のスケッチ。



小さな飾りが見える？

立体にする材料はどこで手に入れるのですか？

私はインスピレーションを旅行からも得ているのですが、立体の材料は旅先のアンティーク・マーケットやアート・ショップで見つけています。モザイク用のタイルや、ポンポン、卵の殻を潰したもの、着物の帯、アンティークのレースもありますよ。



グリッターやフェルトなど、とにかく材料が沢山！

これは部屋の壁に付けるオーナメントです。作ってるのは、ローマにある古いお店のおじいさんで、そのおじいさんに「これを私の絵に使ってるの」と言うと、「これは絵のためのものじゃないんだぞ。何してもいいが、これは壁用だ。」っていつも怒られるんです。ひどいでしょ？（笑）



ヨーロッパで壁や天井に使われるオーナメント。



そのオーナメントが使われた作品。

ベネデッタさんは、ファッション・デザイナーのツモリチサトさんとのコラボレーションもされていますよね。

私の人生で起こった他の重要な出来事と同じように、ツモリさんとのお仕事も全くの偶然だったんです。ある時、パリにあるツモリさんのお店でご本人に遭遇してお話をしていたら、ツモリさんがファッション・ウィーク中のコレクションに私を招待してくれたんですよ。その時にツモリさんが私の作品を見て、その後、東京で再会し、一緒に絵を描き、お友達として会うようになりました。



作品のタイトルは、アメリカの先住民族「Sioux（スー）」。

すごいきっかけですね！でも、ツモリさんの作品とベネデッタさんの作品には似た空気感があるので、きっと運命だったのだと思いますよ！ところで、ベネデッタさんの格言のひとつは「夢は叶う」だそうですが、PingMagの読者の中には、これから日本で活動したいと思っている海外のアーティストの方が大勢いるんですけれど、皆さんに何かアドバイスを頂けますか？

私がアドバイスできるのは、「航空券を買って、飛行機に乗っちゃいなさい！」ってことでしょうか。最初は短期の滞在から始めてみるのがいいかもしれません。最初は大変ですが、来てみればどうにかなるものですし、言葉や文化を学ぶことで、日本はもっと楽しい国になります。私は30歳から日本語の勉強を始めたんですけど、周囲の人達には「そんな年から日本語を学ぶなんて、クレイジーだよ！」って言われていたんです。ところが今は、私以外全員日本人のグループで居酒屋に行くこともあるんですよ！



見ているだけでハッピーになれるベネデッタさんの作品。左はマカロン、右の絵には「夢は叶う」というメッセージも。

では、今は東京の生活もラクラクですね。

最初に覚えた漢字の半分は忘れてしまいましたけど（笑）、今は本当にハッピーですし、東京はヨーロッパの良い所を全部持ってきたような街なので、とても住みやすい場所だと思います。ひとつだけ問題があるとしたら、イタリアから遥か彼方にあることでしょうか。うちのママがよく言うんです。「よりによって、なぜそんなに遠くに行っちゃったの？帰ってきて！」って（笑）。私もヨーロッパはとても恋しいんですよ。実際、今、イタリアでも沢山のプロジェクトを抱えているんです。先日は、ローマの「アート・ア・ポーター」という展示でイタリアのファッション・デザイナーともコラボレーションしたり、現在もローマで展示を開催中です。今後はもちろん日本でも色々なお仕事に関わっていきたいですね。



日本語で「あなたの側にいます」と書かれた作品（左）と、「私の現在と私の過去」と名付けられた作品（右）。



こちらも自画像。大好きなケーキに囲まれて。



沢山の端切れを使って作られた、大きな木の絵。

では、最後にご自分の作品に対する思いを教えてください。

私は作品に幸福感を与えたいんです。私の様々な感情を読み取ることのできる人々の元に、私の作品、つまり&#8221;私の一部&#8221;が届くといいなと思っています。

沢山の元気をくれるベネデッタさんと、自作のドレス。今月行われたローマの展示で。

じゃあ、これが本当に最後の質問です！今は弁護士にならなくて良かったと思っています？

もちろん！だって、人生は一度しかないですから！

ベネデッタさん、クリスマスにふさわしい可愛い作品を沢山見せて頂いて、本当にありがとうございました！この瞬間、世界中の皆さんがハッピーでありますように！メリー・クリスマス！

【おしらせ】ベネデッタさんの展示が現在、イタリア・ローマにて2009年2月まで開催中です。このお休みにローマを訪れる方は、ぜひ足を運んでみてくださいね！
ベネデッタ・ボッロメティ個展
会場：Tad Romaコンセプトストア
住所：Via Del Babuino 155/a, 00187 Rome
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		<title>中銀カプセルタワービル：未来の建築</title>
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		<pubDate>Mon, 22 Dec 2008 10:00:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[国内]]></category>

		<category><![CDATA[建築]]></category>

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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/nakagin.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />サラリーマンで溢れる東京のJR新橋駅から少し歩くと、始終騒音の絶えない首都高速の高架脇にたたずむ未来的な中銀カプセルタワービルを見ることができる。一見、SF映画から飛び出したかのような印象を与えるこのビルのデザインは、一般的な高層マンションやオフィスビルの林立する銀座の街並みの中でも、特にユニークな建築物として異彩を放っている。中銀カプセルタワービルは、日本を代表する建築家、故黒川紀章氏が設計した14階建ての高層建築で、ユニット式のマンションやオフィスとして機能する140個ものカプセルによって構成されている。またこのビルは、ビジネスホテルやカプセルホテルなど、日本特有の都市型宿泊施設の一種の原型ともなったことで知られている。

作：ブレア・マクブライド

中銀カプセルタワービルの先行きは不透明だ。メンテナンスの問題や保存への地元住民の支持不足などの様々な原因によって、大規模な保存計画を提示して、受理されない限り、この建物は2年以内に取り壊されることになっている。黒川のメタボリズム建築の作品は、日本にほとんど残っていないので、解体されるようであれば、それは日本の建築にとっては残念な損失と言わざるをえない。



特定の角度から見ると、突出するそれぞれのカプセルがはっきりと見てとれる。

中銀カプセルタワービルとメタボリズム

1972年に竣工されたこのビルは、順応性、増築、取り換えの可能性に焦点を当てた、黒川紀章のメタボリズム建築の代表的な作品である。「メタボリズム」とは、新陳代謝にアイディアを得た、周囲の環境に応じた有機的な成長を提案する言葉で、この思想はビルの建設のあらゆる段階に影響を及ぼした。ビルに使用されたカプセルは滋賀県の工場で作られ、東京までトラックで運ばれた後にビルの中心の柱にはめ込まれている。カプセルは中心の柱からの取り外しと交換を想定したデザインになっており、一見小さく思えるカプセルの内部スペースも改造できるだけでなく、他のカプセルと連結させて大きくすることもできる。このタワーのシンプルでミニマル的なデザインも意図的なもので、黒川はコンクリートや鋼鉄などの素材が本来備えている美しさ故に、メタボリズム建築に特別に手や装飾を加える必要はないと信じていた。



下から見上げた中銀カプセルタワービル。

だが、そもそもカプセルビルはどういった経緯で建設されたのだろうか。黒川は日本の長い歴史を振り返って、頻繁にある自然災害、そして第二次世界大戦による破壊によって、この国では自然素材で作られた都市は、一時的もしくは予測不可能な寿命しか持ち得ないと考えた。故に、建設物における一時的な伝統を受け継ぐべく、黒川はモダンだが変化することのできる建物を設計しようとしたのだ。



完成直後の中銀カプセルタワービル。 © 黒川紀章建築都市設計事務所（写真：大橋富夫）

中銀カプセルタワービルに見られるメタボリズム思想は、1960年に東京で開催された「世界デザイン会議」の場で生まれたもので、メタボリズム建築の大半は1960年代と70年代に建設されている。中銀カプセルタワービル以外の、カプセルを使った黒川の著名なメタボリズム作品には、長野県にある軽井沢カプセルハウスや大阪のソニータワーなどがあるが、ソニータワーは残念ながら2006年に解体されている。また緩やかに弧を描く、細胞にアイディアを得た山形ハワイドリームランドも特筆すべき作品だ。メタボリズム運動に影響を受けた西洋の重要な建築としては、カナダのモントリオールにあるモシェ・サフディが設計したハビタット67などが挙げられる。



建物がまだ新しかった時期に撮影された、カプセルのクローズアップ。 © 黒川紀章建築都市設計事務所（写真：大橋富夫）

鎌倉を拠点とする建築家、日高仁もメタボリズムに強く影響された作品を作っている。日高さんはSlowmediaという日本の建築フォーラムも設立しており、東京で2011年に開催される予定の国際建築家連合（UIA）のデザイン2050では、「メタボリズム・モデルの再考」について講演するという。日高さんは、1960年代のメタボリズム思想は「アバンギャルドで、都市を流動的なものと捉えていて、そのコンセプトは本物です。そのためにメタボリズムは、生命科学やインダストリアルデザインなどの専門家を招いて、領域横断的なコラボレーションを目指したのです。その考え方は、「流動的な都市」と領域横断的な要素故に現在でも有効です。僕はそういったコラボレーションが続いていくことを願っているのです」と話している。



カプセル内のインテリアの様子。 © 黒川紀章建築都市設計事務所（写真：大橋富夫）

しかし中銀カプセルタワービルやソニータワーに代表されるメタボリズム建築は、それが提唱する思想ほどに柔軟であることを実証できていない。日高さんは、「メタボリズムは建築における新しいシステムの構築を目指していました。たとえば完成後にパーツを交換できるプロダクトデザインのようなものです。ですがメタボリズムにも限界はあります」と説明する。

そういった限界は中銀カプセルタワービルからもうかがえる。日高さんは、中銀ビルは複雑な建築物であるだけでなく、その背景には複雑なシチュエーションもあったと話し、タワービルの一大メタボリズム事業としての重要性にもかかわらず、設計ミスがあったことを認めている。「このタワーの設計期間はたったの4ヶ月という、通常よりもずっと短い期間に急ピッチで進められました。設計は着工した後も続いたのです。」



別のカプセルのインテリア。 © 黒川紀章都市設計事務所（写真：大橋富夫）

中央の柱を取り巻くカプセルは、メタボリズムの思想である互換性に倣って交換が想定されている。しかし結局カプセルが交換されることはなく、日高さんはその理由が構造にあると指摘している。「カプセルは中央の柱から取り外すことができますが、下からではなく、上からしか外れないのです。取り外しは上からよりも下からのほうが楽なので、これは単純な設計の問題です。」



別の角度から見た中銀カプセルタワービル。

これからの道

中銀カプセルタワービルの複雑な性質は、建物の保存に対する熱意の度合いからも明らかだ。黒川紀章都市設計事務所の田中氏の説明によれば、建物の修復への支持はあるが、費用に関する一部の人々の懸念から、住民の投票が行われた後に解体して新しい建物を作ることが決まったという。



中銀カプセルタワービルの真横には、高速道路の高架が横切っている（左）。間近で見たカプセル群（右）。

その一方で、このビルの保存に向けた国際的な支持は大規模かつ明確だ。ロンドンのウェブサイトワールド・アーキテクチャ・ニュースが、100ヵ国10,000人の建築家にこのタワービルの保存についての意識調査を実施したところ、アンケートの結果は、75%の回答者はカプセルの交換、20％が現状のまま保存、5％が解体すべきと答えた。そして仮にタワービルが解体されたとしても、国際的な関心は依然として高いままだと考えられる。日高さんによれば、2010年のポンピドゥ展では日本の建築が紹介される予定で、中銀カプセルタワービルが解体された場合には、主催者は展示の一環としてカプセルの一つを購入することに意欲的だという。



近くで見た中銀カプセルタワービルの窓の様子。

解体という残念な可能性は依然として残るものの、その他の選択肢がまったく存在しないわけではない。そのうちの一つが、それぞれのオーナーからカプセルを買収することだ。これは経済的な負担が非常に大きな案ではあるものの、日高さんから見れば、建物が保存できるならカプセルの買収費用も有意義なものだという。その他の可能性としては、新しいインテリアをデザインするコンペティションを開催して、古いカプセルを新しいカプセルと入れ替えるなどの案がある。カプセルが交換される場合、ビルをホテルとして使用することも選択肢の一つだ。だが日高さんによれば、黒川はまさにそれを実行しようとしていたが、状況は「難しかった」という。



中銀カプセルタワービルの詳細。

中銀カプセルタワービルが今後どうなるのかは、誰にもわからない。しかし建物とその根幹にある思想は、建築界にユニークかつ有意義な貢献をもたらしてくれた。日高さんは、メタボリズムがこれからも建築と文化に貢献していけると、明るい考えを示している。「メタボリズムは、これまでと同じやり方ではできませんが、その方向性を変えさえすればできるのです。僕たちには、以前は存在しなかった技術があるのですから。」

皆さんも東京に来る機会があれば、ぜひ中銀タワーを一度訪れてみて下さい！]]></description>
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		<title>花村えい子：キュートでポップな60年代の少女マンガ</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Dec 2008 10:00:53 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[マンガ]]></category>

		<category><![CDATA[国内]]></category>

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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/eiko-hanamura.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />日本人なら誰でも馴染みのある「マンガ」は、今や日本が世界に誇る文化のひとつ。1958年にデビューした花村えい子は、そのマンガ文化において、少女漫画の先駆者として多くの人に愛される人物だ。PingMag読者の皆さんの中にも、長い睫毛とキラキラと輝くその大きな瞳の少女の絵に、自分の子供の頃を思い出す人も多いことだろう。今回は、デビューから半世紀たった今日でも、フランスでの作品発表や、職人さん達のコラボレーションなど、精力的な活動を行う花村えい子さんにお話を伺いながら、花村さんの初期の作品を中心に、まるで少女のようなそのキュートな素顔を皆さんにご紹介したい。

作：チエミ

花村さんは、昔から漫画家になろうと思われていたのですか？

元々は、竹久夢二や中原淳一の憂いを含んだ情感のある作品に憧れて女子美術大学に進んだんです。でも、漫画家になろうなんて全然思ってはいなかったんですよ。



今見るとむしろ新鮮に感じられる、1960年代の花村えい子さんの作品。

では、一体どうして漫画家に？

結婚して移り住んだ大阪のアパートの一階が貸本屋さんで、小説を借りによく遊びに行っていたんですけれど、貸本漫画家だったそこのご主人に、ある時、女子美で絵を描いていたことを話して絵を見せたら、いきなり「漫画、描きなはれ」って言われたんですね。「漫画なんて読んだこともないし…」と言ったんですけど、お話作りは好きだから興味を持って、とにかく見よう見まねで一本描きました。それをその漫画家さんが大阪の金竜社という出版社に持って行って、帰りにいきなり原稿料貰ってきてくれたんです。それで、嬉しくて周りの人にご馳走したりしていたら、出版社の人から「あの人はやる気があるんやろか」と言われたので、「描けばお小遣いもらえるし、だったらまたやろうかな」って…。（笑）。

結構軽い気持ちでこの道に進まれたんですね（笑）。

そうなんですよ。それでもまだ漫画家になるつもりはなかったんですけどね（笑）。それから、貸本漫画の仕事が毎月来るようになったんです。その頃の少女マンガは単純な線の絵が多かったので、私のように睫毛をいっぱい描いたのは初めてでしたから「睫毛が沢山生えているなんて、これは漫画じゃない！」って言う人もいました。でも出版社の方がこういうのもいいんじゃないかっておっしゃってくれて、いつの間にかレギュラーになっていました。



貸本漫画「少女リーザ」（左）と、「二人のしあわせ」（右）。今では手元にない作品も多いが、たまにネットオークションで昔の作品を見つけても値段が高くて買うのを躊躇してしまうらしい。

その当時、東京の光文社で「少女」という少女雑誌を出していたんですけど、ある時、そこの編集部の方が大阪にいた私と楳図かずおさんと谷ゆきこさんの3人を引き抜きにみえたことがありました。貸本の出版社の方は本当は私達に行って欲しくないのに「雑誌社へ行けばギャラは一桁増えるんだよ」って教えてくれたんです。でも、貸本で描くのは自由で楽しかったので、結局、誰も動きませんでした。

その後、東京に戻った時、少女漫画誌「なかよし」から声がかかったんです。でも、それでもまだ漫画家になるとは思ってなかったんですよ（笑）。

集英社のマーガレットで連載していた「愛のかなしみ」の貸本。

それはどのぐらい前ですか？　

もう45年ぐらい前ですね。それでも私はまだ竹久夢二みたいな絵が描きたくて、「女学生の友」の編集部に作品を持って行ったんです。すると、編集長が「挿絵を描きませんか」と言って下さったので、なかよしに仕事を断りに行きました。すると今度は、なかよしの編集長が「あなたは時代に逆行している。これからは漫画の時代です。漫画を描きなさい。」とおっしゃって…。私は根が素直で単純だったので「はい、そうします」と言いました（笑）。

随分と簡単でしたね（笑）。　

そうなんです（笑）。なかよしで描き始めて間もなくして、今度はなかよしが「なかよしブック」という付録を私のために作ってくれたんです。小学校低学年ぐらいの女の子向けに名作を漫画化したもので、一回目が「ジャクリン・ケネディ」、二回目は「メリー・ポピンズ」、他にも「二十四の瞳」やフランス映画の「禁じられた遊び」などを描かせて頂きました。そして、すぐ「少女フレンド」、小学館の学年誌、「マーガレット」からも依頼がどんどん来るようになりました。当時のなかよしでは手塚治虫先生の｢リボンの騎士｣が人気で、同じ号に私の漫画が載ったりもしました。



1966年の「なかよしブック」の表紙。「二十四の瞳」（左）と「禁じられた遊び」（右）。幼い子供向けにしては衝撃的な内容も多かったこのシリーズは、当時かなり話題になった。

名作を漫画にするのは、難しいのではないですか？ストーリーも長いでしょうし。

感覚で掴むしかないんですけど、何もしないと何ページにもなりますから、必要ない場面はばっさり切り捨てることが大切ですね。



「なかよしブック」の「涙の折り鶴」の表紙。手元に残っているオリジナルの多くは、ボロボロになってしまっている。



原爆についての物語りでは、かなり衝撃的なシーンも。

元々絵のない物語りに絵をつけることに関してはいかがですか？

私の女学生時代はまだカラフルな本がなかったので、親の文学集や文芸集を片っ端から読んで、自分なりの解釈で絵にしていくのが大好きだったんです。面白いお話を読んでいると、この時はこう動くだろうなとか、こういう表情だろうな、と絵が浮かんでくるんですね。

映画監督みたいですね。

先日、東京工芸大学で講義をした時に、やはり「映画監督が良い話を読むと、映画にしたくなるのと同じですね」って私におっしゃった方がいて、私も実際そう思いました。オリジナルのストーリーを作って描くのも好きなんですけど、太宰治とか漫画化してみたい名作もまだ沢山あるんですよ。ほんと、私って欲張りね（笑）。



花村さんの仕事場の様子。お気に入りの画材は意外にも、普通の水彩絵の具やポスターカラー、日本画の筆や「柔らかくて使いやすい」というナイロンの筆などだそう。

名作を漫画化する時、どんなことを心がけていらっしゃいますか？

色々な方が名作を漫画にしていますけど、私は原作そのままではなく、初めて読んだ子供たちが面白いと感じて食いつくようなものにしようといつも思っています。

日本の子供達は漫画で歴史を学んだりしますから、それはとても大切なことですね。ところで、最近は海を越えてフランスでも注目されていらっしゃいますが、どのようなきっかけでフランスで作品を発表されることになったのですか？

昔、漫画家協会で賞を頂いた時に、当時のフランス大使館の方が展示されていた原画を見て、その絵を買いたいと言って下さったことがあったんです。漫画の原画だったのでお売りすることは出来なかったんですが、周りの方が「ひょっとしたら花村さんの絵ってフランスの人とかが好きかもね」なんて言っていて、いつか海外の皆さんに見てもらえる機会があったらいいな、とずっと思っていました。



フランス大使館の方が気に入ったという1989年の花村さんの作品。



同じく花村さんの近年の作品。時代によって作風も随分変化しているようだ。

ある時、私の娘がそれまで放っておかれていた60年代の原画を見つけたんです。昔の紙は丈夫だったのか、作品が今でも色鮮やかなんですね。それで、偶然知人のお誘いもあって、2006年の暮れに、パリのソシエテ・ナショナル・デ・ボザール展（SNBA）に1点だけ昔の作品を出したんです。油絵とかのすごい作品の間に、ちょこんと私の漫画が置かれて、すごく恥ずかしくって…（笑）。でも、それがきっかけで、今度は2007年のSNBA展に在仏日本大使から正式に招待されたんですよ。



花村さんの1960年代の作品。洋服のデザインや配色は、全て行き当たりばったりで描いているのだそう…！

作品を見たフランスの皆さんの反応はいかがでしたか？

オープニングでは皆さんが自由に持ち帰れるようにと持って行ったパンフレットがあっという間になくなって、若い女性や年配の紳士の方達がそれを私に差し出してサインを求めるんですよ。かと思えば、色々な人達が何も言わずに私の横に並んで、次から次へと写真を写そうとしたり、毎日会場に来る役員の女性の方が、私を見るたびに抱きついてほっぺにチュってして「あなたの絵が好きよ」と言ってくれたり、とにかくすごい歓迎ぶりで、とても嬉しかったですね…。



花村さんの1960年代の作品。

今年の夏にはパリの老舗百貨店ボン・マルシェでも、墨田区の製造業者の皆さんとのコラボレーション商品を展示販売されて話題になりましたね。あちらはどのようなきっかけだったのですか？

昨年のSNBA展と同じ時期に、四国の五十崎和紙ブランドとのコラボレーション作品をパリの小さなお店に展示していたんですが、それをたまたま通りかかったELLE誌の編集の方が、「この絵が欲しい」とお店の方におしゃったそうなんです。それで、ルーブルのSNBA展の方にも私の展示を見にいらっしゃって知り合うことができたんですが、その方はボン・マルシェでツモリチサトとリカちゃんのコラボレーション企画を担当した人で、60年代のファッションが大好きな親日家だったんですよ。

それは単なる偶然じゃなさそうですね。

そう、本当に不思議だったんです（笑）。それで、その方との出会いがきっかけで、ボン・マルシェが新学期に合わせて開催するキッズフェアに私の昔の作品を使った商品を販売することになったんですが、実際何を販売するかという話になったところで、ある人が国産Tシャツメーカーの久米繊維工業さんを紹介して下さったんです。すると今度は、久米さんが墨田区役所へ連れて行って下さって、そこから商工会議所が墨田区の技術を使って花村えい子グッズを作ってパリで発表してみませんか、と地元の皆さんに呼びかけてくれたんです。



ボン・マルシェでのキッズフェアの様子。

とんとん拍子で進みましたね！

ボン・マルシェのような老舗のデパートでそんなことが出来ることもすごいんですけれど、作って頂いた商品も提供して頂いた場所もとても素敵だったんです。パリの方のセンスも素晴らしくて、会場では私の漫画からイメージしてコーディネートした子供服を横に置いて下さったりして、本当にとても素敵なフェアになりました。



昨年、小学館クリエイティブより復刻版が昨年発売された「霧のなかの少女」の表紙（左）と中ページ（右）。

一度会うとその人柄にも惹かれてしまう、とてもチャーミングな花村えい子さん。（Photo: Hisako Yanagihara）

今回もPingMagで花村さんの作品を初めてご覧になる方が沢山いるかと思いますが、最後に皆さんに何かメッセージを頂けますか？

パリのこともまだ実感が湧かないぐらいなんですが、私の作品を皆さんに気に入って頂けたら本当に嬉しいですし、今後も色々な国で可愛い子供の絵と抒情画風の作品の両方をお見せできる機会があれば、ぜひ挑戦してみたいですね。

花村えい子さん、今日はありがとうございました！これからも、素敵な作品で世界中の人を魅了して下さい！

【お知らせ】花村えい子さんとコラボレーションされた久米繊維工業さんが現在、PingMagの姉妹サイトPingMagMAKEにて紹介されています。（記事はコチラ）また、海外向けオンラインショップ「shopPingMag」では、久米繊維工業とのコラボレーションで作られた花村えい子さんのTシャツを販売中です。皆さんもぜひ、遊びに来て下さい！（ショップはコチラ）]]></description>
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		<title>日本のハイテクトイレ事情</title>
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		<pubDate>Wed, 17 Dec 2008 10:00:17 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/toto.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />トイレのドアを開けると、自動で開く便器のフタ。心地よい音楽が流れ始める中、暖かな便座にゆっくりと腰を下ろせば脱臭が始まり、用を足した後はボタンを押してお尻を洗浄…。さらにお好みであれば、別のボタンを押して湿ったお尻を温風で優しく乾かし、最後は何をしなくとも、勝手に水は流れ、ゆっくりと便器のフタも閉じられる…。国内に住む人ならすっかりお馴染みのこのトイレも日本を初めて訪れる人にとってみれば、カルチャーショックもいいところ！本日は、ウォシュレットで日本のトイレ文化に革命を起こし、先月のデザインウィークでも宇宙船のようなトイレ空間を演出したTOTOのショールームを見学しながら、広報部の柴崎麻理子さんに、進化し続ける日本のトイレ事情についてお話を伺った。

作：アヤナ

まずはじめに、TOTOについて簡単に教えてください。

TOTOは、1917年に設立した水回りの商品を扱っているメーカーで、元々は海外で使われていた洋式の陶器のトイレを日本国内で流通させるところから始まっています。当時は汲み取り式の木製和式トイレが主流でしたので、衛生的な暮らしのために、耐久性に優れた陶器製の水洗トイレを普及させるという目的がありました。



最近はあまりない家庭用の和式トイレ（左）と、駅などで今もよく見るタイプの和式トイレ（右）。左のように、手を洗った水をトイレの洗浄に使うスタイルも、日本独得のもの。

では早速ですが、日本のトイレに革命を起こした温水洗浄便座「ウォシュレット」は、一体いつ、どのように発明されたのでしょう？

1964年に、アメリカで医療器具として使われていたものを輸入して販売したのがきっかけです。その後、研究を重ねて、1980年に国産品の温水洗浄便座を販売し始めました。最初は受け入れられにくい部分もありましたが、名称を「ウォシュレット」とし、インパクトのあるCMにすることで認知され、徐々に生活に浸透していったのだと思います。



TOTOのショールームでは、このようにいくつかのトイレ空間が見学できる。



従来の13リットルから、たった5.5リットルという少量の水で流すことが可能になった最新のトイレ！

では、日本ではすっかり当たり前になった「お尻の洗浄」ですが、本当に何かしらの利点があるのでしょうか？

洗浄水の出し方には、汚れが良く落ちる工夫があります。また、汚れが浮いたり、ふやける効果がありますので、紙で拭き取りやすくなります。紙よりも肌への刺激が少ないので、痔を患っている方などにはかなり支持していただいています。



前後に動くウォシュレット（左）とセンサーにより自動で上がるフタ（右）。

では、最新の機能にはどのようなものがありますか？

以前のウォシュレットは、洗浄の際に一定の水量を出していましたが、最近は吐水に強弱をつけ、水玉状にして出すことで、水の量を抑えながら、汚れを落としやすくしています。



最近開発された水玉連射方式の様子。その名も「ワンダーウェーブ」！大きな水の玉がお尻の表面にあたれば、汚れも落ちやすくなる。動画はコチラのページの左の青いボタンからどうぞ。

最近では、旅行先にまで携帯型ウォシュレットを持っていく方もいらっしゃるそうですが、国内でのウォシュレットの普及率はどのくらいなのでしょう？

内閣府の調査によると、平成20年3月現在で約7割の世帯で普及しているようです。



ウォシュレットの最新型リモコン。フタの開閉から洗浄タイプや洗浄位置、水圧の強弱まで調節できるようになっている。リモコンがタッチパネルになる日も、そう遠くはないかもしれない…。

それにしても、なぜ日本のトイレはこんなにもハイテクになっていったのでしょうか？

欧米ではビデを使う文化があったことに加え、お風呂とトイレが同じ部屋にあることが多く、水に濡れる可能性が高いというトイレ環境の違いもあると思います。しかし、日本の場合は、トイレはお風呂とは離れていますので、電気製品を使用しやすい環境にあったことが発達に繋がったのだと思います。



ケンウッドによる心地よい音楽とウォシュレットの音声ガイドが聞けるオートサウンドリモコン（左）。そして、香りのトレーを吹き出し口にセットすることによって、気になるトイレのニオイを解消するオートフレグランス機能（右）もオプションでいかが？

消費者のニーズはどのように調査されているのですか？

商品を使って頂いた方からのご愛用者カードやお電話でお話を伺ったり、設置して頂いた所へ訪問調査することもあります。技術的な部分の改良は、研究を重ねた技術者達の「こういうことを実現したい」という強い意志が働いていますね。



最新型便器にはスイッチ一つで水面を下げ、お尻への水のはね返りを防ぐ機能も！（左）また、デザインにも力を入れるTOTOは、東京デザイナーズウィークにも参加している。（右）



TOTOカタログより。マンション向け（左）と広いスペース用（右）。床をフローリングにすると、まるでトイレじゃないみたい…。

家庭用のトイレと公共空間のトイレでは、ニーズは変わってきますか？

公共施設の中でも、駅などのように不特定多数の方が使用する場合は、耐久性が重要になります。デパートのような所ですと、お化粧ができる場所を作るなど、女性配慮が重視されます。あとは、「触りたくない」という気持ちを配慮し、トイレの水が流れるのも、手を洗うのも自動という所が多いですね。



新宿のショールームでは、デザイン性を重視した商品が並ぶコーナーも見られる。

今後、日本のトイレはどうなっていくと思われますか？

昔のトイレは床がタイル貼りで、水が流せる場所であったの対し、今はフローリングにしたり、パイプやコードを隠すなど、お部屋の感覚に近づいてきたと思います。今までの「トイレっぽい」という空間から、今後どんどん変化していくのではないでしょうか。



TOTOのカタログより。お日様をたっぷり浴びたガラス張りのトイレはいかが？

…写真のようなトイレ空間が浸透する日が、まもなくやって来るのでしょうか？柴崎さん、本日はありがとうございました！
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		<title>アミューズメント：アートやファッションと融合するゲーム文化</title>
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		<pubDate>Mon, 15 Dec 2008 10:05:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[インターナショナル]]></category>

		<category><![CDATA[テクノロジー]]></category>

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	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/amusement.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />ただのコンピュータゲーム雑誌以上のゲーム雑誌とは、一体どんなものなのだろうか？それをまさに体現したのが、ゲーム関連の話題をオシャレなアート、ファッション、デジタル文化と交えて紹介するフランスのライフスタイル・マガジン「アミューズメント」だ。本日のPingMagでは、「アミューズメント」の創刊者であり、編集長でもあるアブデル・ブナンさんに、この新感覚の雑誌についてお話をうかがった。

作：ジャン・スノー
訳：山根夏実

アブデルさんは、「アミューズメント」を立ち上げる前は、どういった活動をされていらっしゃったのでしょうか？

現在発売中の「アミューズメント#3」の表紙。

僕はずっとコンピュータゲームやデジタル・エンターテインメント業界一筋できたのですが、2000年、つまり僕が17歳の時に、フランスで共同設立したコンピュータゲームのウェブサイトが大ヒットしたんです。その後、LVMHの一部門が僕たちのサイトを買収して、インターネット・バブルが到来しましたが、このサイトはバブルと共にはじけてしまいました。それから、「ブラスト」「マックス」「テクニカート」「ヌーク」など色々なライフスタイル・マガジンでコンピュータゲームについて書くようになったのですが、その頃から僕のゲームの記事は文化的な視点を取ることが多かったように思います。2004年にはPlayStationのコンサルタントも務めて、その時にARTCADE PlayStationという、写真家やイラストレーターなどのクリエイティブな分野で活躍する人々が、PlayStationに触発された作品を作るためのギャラリーも立ち上げています。その他にも、週に1回はナショナル・パブリック・ラジオの「フランス・カルチャー」という番組のプレゼンターとして、デジタル文化について話しています。

「アミューズメント」はどういった雑誌なのでしょうか？

「アミューズメント」は、第一にインタラクティブ・エンターテインメントについてのライフスタイル・マガジンです。そもそも「ライフスタイル・マガジン」という呼び方自体が、単体では大した意味を持たない言葉なのですが、それでもある特定のタイプの雑誌として特徴づけたかったので、あえてこの言葉を選びました。その特徴というのが、第一に、僕たちが普段はファッションや写真、デザイン雑誌などの、画像に重点を置いた雑誌で活躍する写真家やイラストレーター、クリエイティブ畑の人々と一緒に仕事をしているという点で、これはテクノロジー系の雑誌としては初の試みです。それからトピックに関しても、世界初のゲーム機の開発者、ラルフ・ベアのアシスタントへのインタビューなど、普通のゲーム雑誌とは異なる、独特な視点を採用するようにしています。そして最後に、僕たちが世界的に著名な学者のハンス・ウルリッヒ・オブリストや、ジャーナリストのニューヨーク・タイムスのクライヴ・トンプソン、デザイナー、元セガで現キューエンタテイメントの水口哲也などといったハイレベルな寄稿者を求めているという点もあります。一言でいえば、「アミューズメント」はあらゆる裾野から人を集めて、コンピュータゲームとデジタル・エンターテインメントの極度の多様性を明らかにしようとする雑誌なんです。



「アミューズメント#3」より、「体を使ったゲーム」についての記事の見開き。

この雑誌を創刊しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか？

僕は、子供時代と10代の頃は完全なオタクでした。それ以降は、なぜかは自分でもよく分からなくて、単なる好奇心からだったと思うのですが、全く違う世界の雑誌、「i-D」「ザ・フェイス」「スリーズネイション」「デイズド・アンド・コンフューズド」など、色々と読むようになりました。それからパルプからル・バロンまで、流行のクラブにも行きましたし、現代アートにも興味を持つようになりました。その結果、僕の一番の情熱であるコンピュータゲームの発明性と、それに対するメディアの扱いには大きな隔たりがあるということに思い至ったのです。ゲーム専門誌を出している会社が事実上1社しかないフランスではそれが特に顕著で、それにしたってどこもたいして代わり映えのしないものしか作っていないんです。



こちらも「アミューズメント#3」に掲載された「体を使ったゲーム」の記事より。

「アミューズメント」のような雑誌を立ち上げる際に、何か直面された問題はありましたか？

本当に新しいプロジェクトに人を集めるのはいつも難しいものですが、一番の難関はこういったプロジェクトのポテンシャルについて、広告主を納得させることでした。端的に言うと、広告主はターゲット層がどこにあるのかが理解できなかったんです。それでも幸いに、最終的には彼らもコンピュータゲームやインタラクティブ・エンターテインメントと共に育ち、その情熱をもっと高い次元で取り上げてくれる雑誌を待望する世代がいることを理解してくれました。



「アミューズメント#3」の記事に登場した、もっとも初期の「Pong」コンソールの一つ。

他のゲーム専門誌と比較してどう思われますか？そもそもアブデルさんは「アミューズメント」をゲーム雑誌として捉えていらっしゃるのでしょうか？

僕は「アミューズメント」をゲーム専門誌とは見ていません。なぜなら、僕たちはコンピュータゲームからデジタルアート、オタク度にガジェットまで、インタラクティブ・エンターテインメントのあらゆる領域を探りたいと思っているからです。記事の大部分はコンピュータゲームの話で占められていますが、僕たちはそれを女性誌にとってのファッションとまったく同じやり方で、広義でのライフスタイルを探る上での一つの視点として、そして広告主への刺激として使いたいと思っているんです。

読者層はどんな感じですか？ほとんどがゲーマーか、潜在的にゲームに関心を持っている人々なのでしょうか？

コンピュータゲームや「オタク的な話題」が好きで、それを普通とは少し違った形で、決まりきった枠から外れたやり方で取り上げられるのを見たい方なら、「アミューズメント」を楽しんでいただけるのではないかと思います。



「アミューズメント」の#1（左）と#2（右）の表紙。

アブデルさんは、ゲーム文化を新しい層に持ち込むことが重要だと思われますか？

コンピュータゲームに対して、例えばあまりにも専門的だったり、一般の人には理解できない言葉を多用したりする、「閉ざされた」アプローチを取るべきではないとは思います。「アミューズメント」の場合、いただいた論評の半分は雑誌を楽しんでくださった女性のジャーナリストからのもので、彼女たちの言葉をそのまま使わせていただけば、「恥ずかしい内容ではないし、普通のゲーム雑誌と比べてはるかに引き込まれた」そうです。これも僕たちの目標の一つですね。

確かに普通のゲーム雑誌と同じようには見えませんね。その原因の一つがファッション系の見開きだと思うのですが、この雑誌のアート・ディレクションはどうやって決められたのでしょうか？

アート・ディレクションは、ここ数年M/M (Paris)という非常に有名なグラフィック・エージェンシーと仕事をしてきて、高級ファッション雑誌からもインスピレーションを得ているアリス・リッシャーが率いています。事実、「アミューズメント」の#2と#3ではファッションの見開きがありましたが、今後はスタイルを忘れることなく、もっとデジタルの世界に近い写真を掲載したいと思っています。美しい写真を作りたいというのが僕たちの希望ですが、それを実現するに当たってスタイルは本当に大事ですからね。




MMO（多人数同時参加型オンラインゲーム）でよく使用される言葉をテーマにしたビジュアルエッセイの抜粋。この画像は「アンブッシュ（不意打ち）」（写真上）と「蘇生」。「アミューズメント#3」より。

裾野を広げるためには、あまりゲーム的ではない、むしろアート寄りの美学を提供することが重要だと思われますか？

どちらも重要だと思います。たとえば、僕たちもドット絵にインスピレーションを得たロゴを作ることもできましたが、それに何の意味があるでしょうか？「アミューズメント」はコンピュータゲームだけを扱った雑誌ではないし、ましてやレトロゲームの占める割合はさらに少ない。あとは「未来的」な書体を使うこともできましたが、未来について語る雑誌ではないし、むしろ現在について語っています。だって未来は今ここから始まるものですから！それで僕たちは、広範な分野やトピックをカバーできるように、特定のテーマに結びついていないアート・ディレクションを使っているんです。「アミューズメント」という名前も同じで、非常に総合的な言葉を選んでいます。なぜなら、僕たちは結局の所、21世紀の「アミューズメント」を探りたいのであって、それが現在はインタラクティブな形で行われているというだけなのです。

アートとゲームをミックスさせることについてはどう思われますか？もっとそうあるべきだと考えていらっしゃるのでしょうか。

そういったことは今でも沢山ありますし、僕自身もそこから生まれてくるものに驚かされっぱなしです。僕たちが今見ているものは、コンピュータゲームと双方向性の世界をリミックスし、切り刻んで問いかける、全く新しい世代のアーティストです。それでもこの動きはまだ現代アート市場に食い込んでいるとは言えません。そのことについては、有名なデジタル・アーティストで友人のミルトス・マネタスとも話したのですが、二人ともそのほうが自由があって、実験もできて、無意識にでもアート作品のバイヤーやディーラーに適応しないで済むから幸いかもしれないという結論にいたりました。



「アミューズメント#3」の見開き。

出版業界は、今世界中で苦戦を強いられているようですが、「アミューズメント」はいかがですか？

僕たちは二つの理由から結構うまくやっています。一つは、僕たちが販売ルートに乗せる雑誌の50％近くを売っているということ。これはメディア業界ではとても大きな数字です。そしてもう一つは、広告主も今ではこの雑誌のコンセプトを理解してくれているようだということです。また、僕たちは雑誌のために特定の広告を作るので、広告主との仕事のやり方もとても特殊なものです。そういった意味では、僕たちはむしろ先方の気に入ったコンセプトを練る、クリエイティブなエージェンシーに近いともいえます。



「トゥームレイダー」シリーズの主人公、ララ・クロフトのモデルについて書かれた記事の見開き。「アミューズメント#3」より。

良い「アミューズメント」の記事のとはどういったものでしょうか？

今まで見たことのない、とても限定的な視点と大きな個性を持っていて、新しいトレンドについて今まで問われたことのない疑問を持ったものでしょうか。一つの記事でこの条件をすべて満たすことはできませんが、いつか実現させたい僕の理想ですね！

雑誌の寄稿者を探す時、その人が実際にゲームをするかどうかは後で聞くのでしょうか？それとも最初からゲームが好きだと知っている人にアプローチされているのでしょうか？

そこらは段階を経てやっています。僕たちは、まず僕たちが気に入った仕事をする人と一緒に仕事をしたいと考えます。それからその人と会ってみて、その人がコンピュータゲームを知っていれば一緒にコンセプトを考えられるから最高だし、そうでなければ僕たちからメインのアイディアを提示して、僕たちが作りたいと思っている芸術性と美学について話し合います。



「アミューズメント#3」より、ソニーの平井一夫氏とのインタビューの見開き。

これまでにまだ雑誌でできていないことで、これからやりたいと思っていることはありますか？たとえば特定のタイプの記事とか…。

そうですね、もっとデジタルアートやインタラクティブ・デザイン、ガジェットやオタク文化についてもっと話したいと思っています。これからの号で実現できるでしょう。

最新号の#3ではどういった内容を扱っていらっしゃるのですか？

編集長のアブデル・ブナンさん。

僕自身は、ソニー・コンピュータエンタテインメントのCEOである平井一夫氏のインタビューを特に気に入っています。その他にも、ピーター・モリニューや世界最高峰のSF作家の一人、マイケル・ムアコックとの長い会談、世界初のゲーム機を開発したラルフ・ベアの助手のデビッド・ウィンター、特殊効果の神と呼ばれ、滅多にインタビューに応じないミシェル・ゴンドリーの話など、とても盛りだくさんです。あとはきれいな写真を扱ったシリーズもありますし、本当に幅広い分野の記事に出会えるはずです！

「アミューズメント」の今後のご予定は？

「アミューズメント」は2009年に英語版を作って、アメリカとイギリスでも販売される予定です。それからiPhoneのためのゲームや、フランスの現代アート美術館の雑誌も制作しているところです。

アブデル・ブナンさん、今日は素敵な雑誌の紹介をありがとうございました。これからの「アミューズメント」を楽しみにさせていただきます！
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		<title>HIROCOLEDGE：現代に溶け込む新たな伝統</title>
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		<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 10:00:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[ファッション]]></category>

		<category><![CDATA[国内]]></category>

		<category><![CDATA[民芸・工芸]]></category>

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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/hirocoledge.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />初めてHIROCOLEDGE（ヒロコレッジ）の作品を見たのは、かれこれ6ヵ月前のこと。ちょうど海外の友人のために日本からの小さなお土産を探していた矢先、インテリアショップCIBONEのメルマガで紹介されていた「SLEEVE BAG」にひと目惚れ！今日は、2007年度のミス・ユニバースに輝いた森理世さんのナショナル・コスチュームも担当し、昔ながらのアイテムを現代のテイストで蘇らせるHIROCOLEDGEのデザイナー、高橋理子（たかはし・ひろこ）さんにものづくりに対する情熱を伺いながら、その素敵な作品の数々を皆さんにご紹介していきたい。

作：チエミ

高橋さんは様々な活動をされているようですが、肩書きは何になるのでしょうか？

今は幅広く自由に捉えてもらえるように肩書きを「アーティスト」としていますが、本当のところは自分に合っている肩書きがみつからないからなんです。アート作品もプロダクトも、それらを別のものとして捉えずに、伝えたいことを伝えるための手段として、どちらも同じように取り組んでいます。



着物のたもとをイメージしてデザインされたHIROCOLEDGEのエコバッグ「SLEEVE BAG」。このバッグは一枚の手ぬぐいを一度も裁断することなく、縫い合わせるだけで作られている。付属品が一切ないのでバッグとしての役割を果たした後には、ぞうきんとしても使うことができる。



大学院修了時の展示の様子。

では、高橋さんの最も代表的な作品形態である着物を、どのような経緯で作るようになったかを教えて頂けますか？

子供の頃にテレビで見たパリコレがきっかけでファッション・デザイナーに憧れ、高校では服飾デザイン科へ進み、基礎を学びました。その後、素材について勉強する為に、東京藝術大学の工芸科で伝統染織技法を学んだのですが、当時は学校以外の時間も服作りに明け暮れ、インディーズブランドも立ち上げました。そんな中、大学4年の卒業制作の時に、初めて着物に挑戦してみようと思ったんです。

それまでずっと洋服作りをされてきたのに、なぜ突然着物に目を向けられたのでしょう？

卒業制作は1年程かけて制作するのですが、私にとって洋服はあまりにも身近で、作品として捉えることが難しいと感じたんです。当時はオリジナルの生地で洋服を作っていたんですが、洋服だと柄を表現する面積も小さいですし、曲線が多いので柄をつなげて表現するのも難しい。でも、着物は柄も大きく見せられるし、着物を染めるために生まれた技術を学んできたのだから、着物に挑戦しようと考えたんです。それを教授に伝えたら、すごく応援してくれました。着物に詳しい教授が多かったにも関わらず、学生は着物に無関心でしたから。



大学院修了時に発表した着物の作品。

しかし、大学卒業後も洋服デザイナーを目指し続けたそうですね？

そうなんです。一度はアパレルに就職したんですがそこで行われていたのは、自分の目指していたものとはかけ離れた大量生産のものづくりでした。その後、藝大の博士課程に戻り、洋服と和服がどちらも身近に存在している現代の日本人ならではの感覚を、洋服作りにどう生かせるかと考えていました。

その後、再び契機となる出来事があったと伺いましたが。

博士課程を2年間終えた後、フランス外務省AFAAの招聘でパリで半年ほど活動する機会があり、その時の個展で着物を発表したんです。それが“伝統的でモダン”なものと感じてもらえ、受け入れられたことに驚きを感じました。着物に対する固定観念のない人たちの声を聞いたことで、日本の文化や自分の役割を客観的に捉えることができ、初めて自分が日本人であることを強く実感しました。それがきっかけで日本の伝統文化に関わっていることに意義を感じ、着物を続けていこうと思ったんです。帰国後は、藝大に復学し、2006年にブランド「HIROCOLEDGE」を立ち上げました。



フランスでの個展の様子。

では、HIROCOLEDGEというブランドについて教えてください。

HIROCOLEDGEは、アート活動のひとつだと考えています。アートもプロダクトも同じように、見て触れて感じてもらいたい。どちらも物づくりの背景を伝えるための手段といえるかもしれません。



ポップで可愛らしいHIROCOLEDGEの浴衣。

HIROCOLEDGEのアイテムはモダンな柄が非常に印象的ですが、「柄」に対してどのようなこだわりをお持ちなのでしょう？

例えば、友禅染だからこそ生まれた柄があるように、昔は日本ならではの柄が技術と共に発展してきたはずなんです。でも、今は染織技術は進歩したのに、柄の発展が止まってしまった。着物が日常着でなくなってしまったのも原因だとは思うのですが、本来はその時代に合った柄が技術と共に生まれ続けるべきなのだと思うんです。今私は、黒と白、丸と直線、そして伝統的な着物のフォルムという最低限の要素でどこまでオリジナリティが表現できるのか、ということに挑戦しています。表現に自由のある時代において、あえて要素を制限し、いまの時代だからこそという無駄のないモノづくりを試みる。面積が大きく平面的な衣服だからこそ、できることは多いと考えます。

素晴らしい志ですね。普段は地方の工場も色々と訪れていらっしゃるようですが、素材や技術に関してはどのようにお考えですか？

素材や技術は、変えられる部分、変えられない部分、変えてはいけない部分があると思いますが、そこは職人さんと相談しながら進めています。最初にラフを描いたら、まずそれを職人さんに見せて何ができるのか一緒に考えます。それからデザインをするんですが、「出来そうだけど、やったことがない」と言われることも多いんです。でも、挑戦することで新たな一歩になるかもしれないので、職人さんには多少無理なお願いをすることもあります。



HIROCOLEDGEの手ぬぐいには、生地に染料を注いで染める伝統的な技法「注染（ちゅうせん）」が用いられている。



制作には率先して関わり、自ら染色も行う高橋さん。

職人さんの挑戦と努力で生まれた作品の例をひとつ挙げて頂けますか？

西陣織の帯をシンプルに白黒のみでデザインしたことがあるのですが、織物は経糸と緯糸の色が混ざって織りあがるのが一般的です。そのため、真っ黒と真っ白を表現するのは、とても難しいのですが、その職人さんは他の仕事を止めて3ヶ月程かけて研究して下さり、試行錯誤の末にその帯は完成しました。出来上がった時は「こんなものは見たことがない」と、西陣界隈の人も見に来たとおっしゃっていました。



制作途中の帯（左）と、白黒の帯の完成品（右）。「できません」とは決して言わない職人さん達とは、素晴らしい信頼関係が成り立っているそう。

その職人さんも新たな発見に喜んでいらっしゃったんじゃないでしょうか？

そうですね。できあがったときの達成感はお互い大きかったので、とても愛着があります。この帯が様々な場面でお披露目されると、職人さんもとても喜んでくださいます。

ところで、最近、日本の伝統に再注目し新たな形にして蘇らせるという動きがとても増えてきていると思うのですが、そのような流れを客観的に見てどう思われますか？

私自身もその流れの中にいる一人ですが、変えてはいけない部分を保ちながら、固定観念をどれだけ打ち破れるかがすごく重要だと思うんです。例えば、学生と伝統工芸の職人さんのコラボレーションなどがよくありますが、実際そこで出来上がって来るものは古典柄の影響が大きいように感じます。つまり、多くの人が過去に影響され過ぎて、そこから抜け出せずにいるように思うんです。

私は和を意識してデザインをしている感覚はないのですが、海外の方が目にした時に、和柄だと言ってくれるのはとても嬉しいですね。日本人の私が生み出した柄が、日本的であるのは当たり前なんだと思うんです。だからこそ、私の着物は日本の現代的な空間にも自然に溶け込むと評価していただけるのかもしれません。



現代的な表参道の景色にも溶け込む高橋理子の作品。

今のデザインには本質を求められていると感じています。日本を意識したデザインを追求して表面的な部分だけを意識しすぎると、ぎこちない和のデザインになってしまうことが多い。けれど、ものづくりの根底やそのものが生まれた背景をもっと理解すれば、別のものが見えてくるはずです。そうすれば、今の時代に合った日本のものが、もっと自然に生まれてくるんじゃないかと思います。



高橋理子展「BLACK KIMONOS」／ELTTOB TEP ISSEY MIYAKE（Photo：Shiori Kawamoto）

では最後に、高橋さんがHIROCOLEDGEを通して伝えたいメッセージをお聞かせ下さい。

私は、作る人も使う人も、そのものに関わった人すべてが幸せになるようなものづくりをしたいんです。ものの背景には、それが生まれた歴史や技術、職人や道具の存在がありますが、それを感じとることはなかなか難しいと思います。地球環境のことを考えると、無駄なものを生み出してはいけない時代。だからこそ、作り手としてはそのプロセスも大切にしながら伝えていきたいんです。そして、使う人もそれを知ることで、もの大切にする心が生まれるのではないかと思います。でも、だからといって物づくりの背景だけが大切なのではありません。やはり見た目のインパクトも不可欠です。注目してもらえなければ、手に取ってもらうこともできませんから。ものがあふれる今だからこそ、未来の人々がそのまた未来に伝えたいと思えるようなものづくりをしていきたいんです。

HIROCOLEDGEのデザイナー、高橋理子さん。

それだけの情熱を持ってものづくりに取り組んでいらっしゃるなら、きっと職人さんとの間に素晴らしい信頼関係が築けているんでしょうね。

そうですね。私が仕事を依頼している職人さんは同じ世代も多いんです。その方達は、プロとして素晴らしい技術をお持ちですが、やはり80歳の職人さんと比べれば経験は少ない。でも、若い職人さんは私と一緒に成長していこうという気持ちを持って下さっていますし、私もその職人さんと同じ気持ちで経験を積み重ねていけたらいいなと思っています。

高橋さん、今日はありがとうございました。今後も職人さん達との共同作業で、未来に残るような素敵な日本の作品をどんどん生み出して下さい！期待しています！

【お知らせ】本日ご紹介した高橋理子さんのブランド「HIROCOLEDGE」の期間限定ストアが、現在、東京と大阪で開催中！お近くの方は、ぜひ足を運んでみて下さいね。

兵庫・阪急西宮ガーデンズ
in The ROOM内「Sense of Life」
期間：開催中〜2008年12月26日（金）
営業時間：10:00〜21:00

東京・表参道ヒルズ
HIDA OMOTESANDO
期間：開催中〜2009年1月12日（月）
営業時間：11:00〜21:00（日曜日のみ11:00〜20:00）]]></description>
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		<title>瀬戸正人：ビンラン売りの甘い誘惑</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Dec 2008 10:00:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chiemi</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[インターナショナル]]></category>

		<category><![CDATA[フォトグラフィー]]></category>

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		<description><![CDATA[
	<img src="http://images.pingmag.jp/images/title/masato-seto.jpg" alt="This image has no alt text" />
	<br /><br />国道沿いに立つ、派手なネオンの付いたガラス張りの小屋。その中では、露出度の高い服を着た若い女性がガラスのテーブルの上で何かを作っている…。写真家の瀬戸正人は、台湾での取材中に不思議な光景に出くわした。それが、本日ご紹介する瀬戸さんの写真集「binran」の始まりだ。今日は、瀬戸さんご本人にお話を伺いながら、日本ではあまり知られていない、この不思議なビンランの世界へと皆さんを誘いたいと思う。

作：チエミ

まず、この企画はどのように始まったのでしょうか？

瀬戸正人写真集「binran」の表紙。（出版：リトルモア）

ある時、旅行雑誌の取材で一週間程、台湾に行ったんですよ。その時に、車で山に行った帰り道、暗闇の中で、昼間には見かけなかった小屋がいくつも立っていることに気づいたんです。気になって近づいてみると、女の子達がこんな格好で、何かを作って売っている。一体何を売っているんだろう、と興味を持ったものの、一旦帰国して色々調べてみたんです。すると、台湾では「ビンラン」というものを売る風習があることが分かったんです。

ビンランとは一体何ですか？

日本ではビンロウと呼ばれるものなんですが、ウズラの卵ぐらいの大きさのヤシの実の一種で、中の実を半分に裂いたものに石灰を塗って、胡椒か何かの葉で挟んで、それをガリガリ噛むんです。すると、そのうちガムみたいに柔らかくなって、真っ赤な汁が出るんですね。その汁を吸ったり吐いたりすることで、覚醒作用が得られるんです。値段は季節にもよりますが、タバコの箱みたいなものに10個ほど入っていて、200円ぐらい。現地ではタバコよりも高く、常用するのは男性とお年寄りが多いようです。東南アジアではごく普通に売られているんですよ。

まるで額縁のようなネオンに囲まれ、ビンランを売る女性。写真集「binran」より。

とても不思議ですね…。それで、このビンラン売りの写真を撮ろうと思われたんですね。

最初は、裏の社会があって、写真なんか撮れないんじゃないかと思っていたんですよ。でも、色々調べてみても特に何もないようだったので、撮りに行くことにしたんです。もちろん、売り子の女の子達は台湾語しか話せないですから、台湾語を話せる人に通訳になってもらって、まずはこのエリア、次はここ、という感じでどんどん撮っていきました。

台湾中に点在しているんですか？

そうですね。ただ台北市内では普通におばあさんが売っていて、こういうお店は市外ですね。国道沿いにあるのですが、正確な場所が分からないので、タクシー・ドライバーに聞いたりもしました。

全然想像がつかないんですが、お店に近づくとどうなるんですか？

車で近づくと、売り子の女の子が店から出てくるんです。「何かいりますか？」と聞かれて、「水をください」とか「ビンランください」と言ってお金を渡すと、「わかりました」と言って、持ってくる。キヨスクみたいなもんです。ところが、人気がある売り子のところは、近くに別のお店があっても、みんな待っているんですよ。

右上の光る文字「檳榔」を「ビンラン」と読むようだ。写真集「binran」より。

それにしても、なぜビンランを売るためのお店がガラス張りで、売り子さんがこんな露出の高い姿なんでしょう？

単純にお客を惹き付けるための一種のビジネスの方法なんだと思います。元々は街のタバコ屋さんみたいなお店だったのに、20年ぐらい前からこのように変わってきたらしいんです。でも、日本人の感覚から言うと、歌舞伎町でもないのに、こんな格好をしている人が近所にいるのは抵抗があるでしょう？ところが、現地ではそうでもないようなんです。

ということは、日本で言うところのバドガールみたいな存在でしょうか…？

まさに、そういう感じですよ！別に差別されている訳でもなく、隣近所の人もよく知っているようなんです。

ここに映っている売り子の女性達は、皆さんどことなく影があるように感じられますが、実際彼女達とお話しされました？

話しましたよ。彼女達は社員で、朝、昼、夜と三交代で、お店は24時間営業なんです。夜行くと必ずこういう人がいて、お給料も結構良いみたいなんですよ。僕も彼女達に影があると感じたんですが、実際には能天気な人も多かったですね。

こちらは、かなり無機質な感じ。写真集「binran」より。

写真集の中には、お店というより自分の部屋のように私物を持ち込んで、マニキュアを塗っていそうな人もいましたね。あれは時間を潰すためでしょうか？

そうでしょうね。あと、店の中にいる間は、ビンランのヘタを取ったり、中身を塗ったりして、仕込みもしているんですよ。だからどこのお店にもこのテーブルがあるんです。

テーブルの上の赤いカゴには、おそらく沢山のビンランが入っているのだろう。写真集「binran」より。

写真の写し方に関して、何かご自分なりのルールはありましたか？

僕はスナップとしてではなく、三脚を立ててきちんと撮るんです。それで「撮りますよー！」と言って、彼女達にある種の緊張感を与えた中で撮るようにしました。なので、雰囲気ではなく、細かい所もリアルに写っていると思います。

今回、初めてこの不思議なビンランの世界を知る人も多いかと思いますが、何か瀬戸さんより皆さんにメッセージをお願いします。

写真家の瀬戸正人さん。新宿のプレイスMにて。

台湾に行って自分の目で見て欲しいです。みんなおおらかですし、話してみると楽しいですよ。とりあえず国道沿いを走ってみてください！

では、いつも人にまつわる写真を撮っていらっしゃる瀬戸さんですが、最後に人を撮ることの魅力について教えて頂けますか？

人間のやることって面白いし、顔にも滲み出ているように、人間って不思議ですよ。これからも人を追いかけ続けたいなと思います。

瀬戸さん、今日は本当に興味深いお話をありがとうございました！]]></description>
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